合法薬物 ③

ライターガスへの強い依存で広島から大阪ダルクにつながった仲間の話です。
つながった当初は、NA(自助グループ)やダルクの仲間を受け入れられなかった彼が自分の体験から回復についてについて話してくれたインタヴュー記事です。

広島から追い出される形で大阪ダルクへ

合法薬物 ③ | 仲間の話 - 大阪ダルク

――今回のインタビューはヒロアキさんです。さっそくですが、このインタビューで伝えたいことをお聞かせください。

このニューズレターはいろんな人が読んでくれていると思うけど、これからダルクにつながってくる薬物依存症者の仲間たちと、ぼくの家族が読んでくれるといいなと思います。
ぼくは家族とは連絡をとってないので、今のぼくのことはわかんないと思うけど、家族が思ってる回復の形と、ぼくが実際にしている回復の形は違うかもしれないけど、その違いをわかってほしいと思います。

――実際の回復とはどういうものでしょうか。

ぼくは広島の出身で、広島から大阪ダルクにつながってきました。大阪ダルクに来て一年四カ月が経ちました。最初、ダルクというところのイメージが良くなくて、みんなクスリ使ってるんやないかというイメージを持っていました。

それでも、ぼくは広島で先にNAにつながっていたのである程度はダルクのことをきいていましたけれど、刑務所組なんかは、ダルクのイメージが最悪というのをよくききます。刑務所の中で、「クスリやめたいんでダルクに行こうと思う」なんて言うたら、それをきいた刑務所の仲間たちは「またクスリやりたいんか」と言ったりするそうです。ダルクはクスリをやる場所というイメージを持つ人が多い。たしかに、ダルクはそのイメージどおり、ヤク中の集まりなんで、回復していく奴もおれば、何度もスリップする奴もおる。刑務所に逆戻りした奴もおる。クスリ使って死んだ奴もおるし。でも、ダルクにつながっている仲間は、NAでもそうやけど、今日一日だけクスリをやめたい。必死にがんばっている仲間たちです。

ぼくは広島で行くところがなくて、実家にもいられないし、広島から追い出される形で、しかたなく大阪ダルクにつながってきました。来てみると驚きというか、なるほどなと思うことが多くて、やっぱり大きいのが、ミーティング。午前午後、NA、みんながクスリを使っていた体験を話しているのをきいて、こいつらよくこんな話をするなあっていう感じでした。そういう驚きが最初にあって。それが慣れてくると、ぼくはガス一本なんやけれど、ブロンとかシャブとかシンナーとかクスリの違いはあっても、いろんなものを失ったとか、薬物依存者特有の悩みの部分は一緒で、クスリは違えども共感できるようになりました。

一人でいくらがんばっても絶対にやめられない

ぼくも自分の話をするようになって、自分の嫌なこととか、話したくない過去とか、ミーティングで話すのやけど、世間一般では受け入れてくれないような話でも、仲間は受け入れてくれて、また、そういう言いたくても言えなかった過去とかを、みんなの前で言えた時、ちょっと背中が軽くなるというか、すっと楽になる自分がいます。薬物の欲求がわいた時とかも、ミーティングで話すと、すごい楽になる。しゃべることで欲求が消える。欲求がおさまるということもあってミーティングというのはすごい力を持っていると思っています。

ぼくには話せなかったことは何個もあるんやけれど、やっぱり実家が特殊やったので、親父が社長でいろんな考え方も特殊で、教育の基本方針が「友達は作るな」でした。「友達は作るな」「高校になっても門限は六時」。小遣いも高二までもらえなかった。家の環境が特殊だったせいか、人づきあいがほんとに下手で、小六くらいから高三まで七年間、いろんな奴に、ヤンキー達にいじめられた。クラスが変わっても、ヤンキーはなぜかぼくに目をつけて、殴ったり蹴ったりの暴行を加えられました。家でも兄貴にちょっとしたことで殴られ蹴られ、しまいに木刀で殴られ、金属バットで殴られ、ゴルフクラブで殴られました。そういったいじめの体験は、つい最近まで話せなかった。学生の頃にいじめられとったって言うたら、なめられるやないですか。そういうのもあって、最近まで言えなかったんですけど、ミーティングで話した後もね、仲間は話をきいた前と後で何も変わらず、ありのままのぼくを受け入れてくれました。

あとね、話しにくかったのは、仕事が終わって、スーパーに車を停めてて、ガスを買ってきて、車の中でガスを吸ってたんやけど、ガス吸ってぼけちゃって、ガスが充満している車の中で、タバコを吸っちゃって、火がついて大炎上、爆発。手と顔に大やけどを負って、そやけどそのまま車を運転して、病院に行って、病院でお医者さんにやけどしたって言うたんやけど、やけどした理由が話せない。すぐに兄貴に電話をかけて、兄貴を呼んだ。「ガスを吸って爆発したんじゃ、助けてくれ」って。この話もね、なかなか話せなくて。やっぱ、車でガスすってタバコ吸ったらそら燃えるやろみたいな。アホかお前って思われるのが嫌でなかなか言えなかったんやけど、それもミーティングで話してすっきりした。

あとは、話しにくかったのは、嫁との離婚。ぼくは広島の精神病院の隣の施設に入ってたんやけど、嫁はその時実家に子ども連れて帰ってました。ある日、ぼくが電話して、働いてクスリをやめるからやりなおそうという話をしていて、嫁も、うん、わかったという感じやったけど、次の日になったら、急に離婚したいって嫁が言いだしてきて、たぶんぼくとやり直すのを親に反対されたんでしょうけど。それで、家庭裁判所で離婚の申し立てをされて、ぼくはそういう時はいつも人任せで、裁判には親父に行ってもらって、親父は裁判官に息子は病気の治療中で出席できませんって毎回言ってもらってました。裁判の最後に一回だけぼくが行って、子どももいるし、絶対に離婚はしませんって言うたんですけど、向こうが弁護士を立ててきて、どうしようもないけえ離婚した方がいいってことになって、仕方なく離婚したんやけれど、未練たらたらで、最近までひきづってました。この話もなかなかできなくて、今はだいぶん自分の中では終わった話として、ミーティングで話せるようになっています。

基本的にミーティングではネガティブな話が多いんです。自分の過去の暗い話やったり、自分の欠点やったり。ミーティングのテーマもネガティブなものが多い。ぼくはね、そういうのが個人的にあまり好きやなくて、クスリの話もするけど、先週行ったライブの話やとか、ギターの練習をしてる話とか、バンドがやりたいだとか、ピアスをあけたいだとか、やりたいことだとか、楽しいことだとか、前向きなことを話すことが最近は好きです。


――実際の回復と家族が考える回復との違いとはどういうところでしょうか。

ぼくの家族は、薬物の家族会に出ているので、他の人よりはだいぶん理解してくれていると思います。それでも、ぼくら薬物依存者にとってはクリーン一年、使っていない期間一年の記念日をバースデーと言って、自分の第二の誕生日として、仲間でお祝いするのやけど、そん時に薬物依存症者が思うのは、本当に一年間よくクスリを使わずに生きてきた、素晴らしいと、称えるのが薬物依存症者であり、プログラムを理解している仲間。家族とか一般の人というのは、ダルクのような施設とかに来ていたら、クスリを使わないでいることは当然のことで、クスリを使わないが当たり前。プラスアルファを求めてくる。クスリを使わずに学校に行くとか、クスリを使わずに働きなさいとか。クスリを使わないというのは一般の人にとっては当たり前のことなのやけど、ぼくたち薬物依存症者と一般の人との一番の違いは、薬物依存というのは病気であると思っているかどうか。一般の人は、薬物依存は病気であるというプログラムは教わってないので、絶対に理解しない。風邪をひいたら病院で風邪薬をもらって治す、骨折したらギプスをして治す。薬物依存という病気やから、クスリを使うのも病気やから、予防はできても風邪ひくのがしょうがないように、クスリを使うのも一緒。薬物依存症者にとってクスリを使うのも当たり前のこと。一番の違いはそこやと思います。


――ダルクにつながる前にNAにつながっていたとのことですが、最初にNAにつながる時には抵抗や心配はありませんでしたか。

ぼくは最初、NAを知らなかった。ぼくが入院していたのは広島の精神科の病院で、そこに入院していると、薬物に問題のある人は半強制的にNAに行かなくてはなりませんでした。なので、仕方なく行っていた感じでした。
広島というのは、まだまだ大阪などと比べると、広島ダルクもやっと活動をはじめたくらいやし、NAも毎日何か所もあるような状態やない。入院中、昼間にぼくは病院からバスでNAに行くのやけど、はっきり言って人数が少なくて、ミーティング場をしきっている二人と、患者が二~三人で、せいぜい四~五人くらいで、一時間半のミーティングをやる。そうすると、一人十五分から二十分はしゃべらなくてはいけなくて、それが当時のぼくにはしんどい作業でした。普通に世間にいたら、毎日いろんなことがあったりするけど、病院に入院していたら変わり映えのない一週間で、そんなかからネタを見つけて話をするというのはすごく苦痛な作業で、広島でのNAは正直嫌いでした。ぼくにとっての最初のNAはそんなイメージでした。
大阪では、ダルクもNAもある程度確立されていて、ダルクではちゃんとしたスタッフが何人もいて、自分の悩みとか困ったこととか、そういうことにスタッフが二十四時間体制で対応できるシステムが確立されています。でも広島ではまだそんなにスタッフも多くないだろうし、まだまだ確立されていないと思う。ぼくは広島出身なので広島に帰りたいとも思うけど、そう言ったことで広島ダルクに行くことは正直不安もあります。NAも同じことが言えて、広島では大阪のように毎日はないだろうし、来る人数も少ないだろうし。
ぼくの持論なのですが、NAに必要な人間は二パターンあって、ちゃんと回復していてクリーンで仕事をしている、目標にできるような人間、先を行く仲間。そうい人が必要だと思います。もう一パターンは、逆にスリップする人間、クスリを使ってしまう人間。この二パターンの人間がいることによって、先行く仲間の話をきいて、こんな風になりたい、こんな回復をしたいと思いつつも、スリップする仲間を見て、「昨日使いました」「ボロボロです」という仲間を見て、自分の身を引き締めるというか、安心して怠慢になったらスリップは常に身近にあるものだと、感じるためにもスリップする仲間も必要だと思っています。


――最後に、このインタビューを読んでいる人たちにメッセージをお願いします。

ぼくみたいな、家族との関係も最悪になり、嫁と離婚して、子ども二人とも離れて暮らして、仕事も辞めざるをえなくなって、マンションも車も手放して、友達もすべて失って、広島にいる場所もなくなって、何もなくなって、それを底つきって言うんですけど、底をついた人間にとっては、やるしかないわけです。ぼくなんかは、ボンボンに生まれたけえ、ダルクに入寮という形で、寮で仲間と生活するっていうのは、それさえ気持ち悪くて嫌やったんやけど、やるしかなくて。他に行くところもないし、仕方なくダルクに来て、仕方なくNAに行って、仕方なく寮に帰る。そんなことでも、ぼくみたいな、底をついた人間なら、耐えられるんやろうけど、まだまだ仕事を持ってたり、家庭を持ってたり、子どもがいたり、恋人がいたりとか、そういうまだ余裕があってクスリを使える状態の人はなかなか底をつかないんで、女の人やったら体も売れるし。なかなか底をついて、ダルクやNAに来る人は少ないと思う。でも、もしクスリを使っていて、やめたいという気持ちがあるなら、気まぐれでもいいんで、一度、ダルクかNAにつながってみることをお勧めします。結局、どうあがいても、クスリをやめる方法はひとつしかない。一人でいくらがんばっても絶対にやめられない。家族のためにやめようと思っても絶対にやめられない。刑務所とか病院とかにぶちこまれてもやめられるもんやない。やめようと思うなら、やめたい気持ちがあるんなら、ダルクかNAにつながって、ミーティングに出る。ミーティング、これしかないと思います。

ぼくの家族には、親父やおかんが思い描いてる回復の形とは違うかもしんないけど、ぼくなりに大阪でがんばってるよ、回復していってるよということを伝えたいと思います。


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