裁判~保釈 ②

大麻・覚せい剤の使用で複数回の逮捕と服役を経験した仲間の話です。
一度はNA(自助グループ)とダルクを離れたものの、4回目の逮捕が「自分は薬物依存症」であることを受け入れるきっかけになったとインタヴューの中で話してくれました。

きっかけは三回目の逮捕のとき

裁判~保釈 ② | 仲間の話 - 大阪ダルク

よろしくお願いします。ウィッキーです。

――――ダルクとつながったきっかけを聞かせてください。

ぼくが、この施設につながったきっかけは、二年前。薬物で三回目の逮捕のときでした。そのときは三か月くらい通所したのですが、一度ダルクから離れました。仕事が忙しくなって、あと、うまくいかない仲間がいて、わかちあえない気持ちというか、そういうものがあって自分から勝手に去っていきました。NAは半年くらいは続いていたのですが、それも仕事中心の生活に移っていきました。そのときは、クスリはとまっていました。一年くらいはやめることができていました。

ぼくは、薬物の欲求というのはわからないんです。スイッチとか、ひきがねというのがぼくの場合、自分でわからなくて、クスリが目の前にあっても、お金があってもつかわないこともある。でもつかうこともある。それで、売人との接触からまた薬物使用がはじまって、今回の逮捕。四回目の逮捕になりました。
二年前に執行猶予になっていて、その期間中なので、刑務所に行くしかないと思っていました。でも、不起訴になりました。
驚きました。警察の留置場からダルクに即入寮という形で、ダルクにまた来ることができました。今、入寮して二か月半くらいが経ちました。この施設に通うことによって、依存症からの回復への道の言葉をきけて、いろんな方法があることを見つけています。

ハイヤーパワーをもらったと感じます。本当に、ハイヤーパワーというのを、こちら発信ではなく、むこうから与えられたと感じます。今、ぼくは世の中に出られている。刑務所に行くのではなく、ダルクに来た自分が、ハイヤーパワーでつながっていると感じています。自分が回復したいという気持ちがなければ、ここにつながらなかったと思います。今しかチャンスがないと思えました。まだ勉強中なのですが、薬物依存という根深い問題にとりくんでいるところです。

ぼくがつかっていた薬物は、覚醒剤と、大麻です。覚醒剤はあぶりでつかっていましたが、覚醒剤の効きが嫌いで、つかったあとは眠剤を飲んで寝る。覚醒剤の意味のなさはまわりから言われてわかっていたのだけれど、なぜやめられないのか。ミーティングに参加していますが、まだ見つけられていない。それでもがいているところです。

クスリをなぜつかうか、自分でもよくわからないということを、ダルクのスタッフと話たら、それはとても難しいところだと思うと言われました。多くの場合、つかう自由とつかわない自由との間でゆれるのですが、ぼくの場合、欲求がわく、わかないがないので、難しいと言われました。

スタッフからきいた言葉で、とても心に残っている言葉あります。
「一日一日」ということと、「ゆっくり」ということです。
ぼくの空回りしている頭の中を整理してくれて、まずは一日一日、ゆっくりでいいから回復へ向いて行くということ、なるほどと思いました。

与えられたものとして感じた

――――前回、ダルクに通所していたときと、今回、ダルクにつながっていることとの違いはどのようなものですか。

前に通所していたころのぼくは、言葉では自分が依存症だと言っていたが、どこか違うと思っていました。今回はゼロからのスタートで、すべてを断ち切って、やっています。家族とはつながっていますが、今までつきあっていた友人、ともに過ごしてきた友人らと縁を切って、今、ぼくは四四歳なのですが、第二のスタートとしてやっている。そこでやっと、薬物依存という病だということがわかったので、自分に受け入れることができました。薬物依存症ということを受け入れました。クリーンを続けることと、社会に復帰することは別。今までのぼくは、社会に復帰したいという願いが強かったが、依存が先。根深い病気だと受け止めてやっています。仲間の話をきいていても、壮絶というか、いろいろな話があるのだけど、いいところがあれば、糧としてやっている。過去を振り返らないようにして、これからのことに取り組んでいきたいと思います。ミーティングでテーマにそった場合は過去をほりさげますが、棚卸しをした分、棚が開いているので、新しいものを取り入れようとしている自分がいます。


――――ウィッキーさんはハイヤーパワーを実感したとおっしゃいますが、ハイヤーパワーということを受け入れにくいと聞くこともよくあります。最初にダルクにつながったときには、ハイヤーパワーということをどう考えていましたか。

かつて、ぼくもハイヤーパワーは言葉では理解していて、偶然的なものとか、言葉的なものとか、そう考えていました。前回の通所のときは、ハイヤーパワーという言葉をぼくは使っていなかったと思います。ぼくの場合は、今回ではじめて知ったと思います。今回の逮捕で、留置場にいるときに、夢で甥っ子と姪っ子と、飼っていた犬が夢に出てきて、ぼくは泣きじゃくって目が覚めるということがありました。刑務所へ行くのを覚悟していたのですが、NAやダルクに行けるチャンスを与えてもらえた。不起訴で留置場を出られたときに、与えられたものとして感じた。それがなければ、今の自分がいない。ハイヤーパワーが無条件で自分の中に入ってきた感じです。
もう今しかチャンスがない。

刑務所に行かなければならない自分だったので、ここに来ることはないと思っていました。まさかという思いです。仲間みんなも、それはハイヤーパワーだ、チャンスだと言ってくれました。執行猶予がついているのに留置場から出てこられた。これが最後のチャンスだと思ってやっています。

今は与えられた毎日を送っているだけですが、回復に向けて取り組む姿勢で、ハイヤーパワーが変わっていくと思います。ハイヤーパワーは最初のきっかけで、あとは自分の考え方とか、言動、行動、決断でそれぞれにハイヤーパワーが与えられると思うので、回復へ向けてどうがんばっているか、自分にかかってくるものだと思っています。


――――ダルクでの生活について、教えてください。

ぼくの入寮しているところは一軒家で、仲間と三人でシェアして暮らしています。朝起きて、パンが支給されるので、朝食をとって、午前一○時前後にダルクに来て、午前中のミーティング。昼ごはんをみんなで作って食べて、午後のミーティング。ダルクは午後三時に終わって、寮に帰るのですが、今の季節は寒くて、寒くて。(インタビュー時は一月二一日)

ぼくは、趣味で絵を描くのですが、自分の部屋では寒すぎて絵が描けない。リビングに暖房があるので、そこで暖をとって過ごしています。それから夜のNAに参加し、NAの場所は毎日違うのですが、帰ってきてから夕食をとって寝るという生活です。寮にはキッチンがあるのですが、包丁が禁止なので、自炊ができない。ご飯はたけるので、それとレトルトというような食事です。自分の部屋は寒いこともあって、寝るだけの場所という感じ。リビングで暖がとれるので、同じ寮の仲間と一緒にいる時間が長いです。

寮の仲間とはトラブルもなく、仲良く過ごしています。そこらへんのシェアはできていて、お互いに助け合うこともできていると思います。共同での掃除とか洗濯もシェアできています。ぼくが入寮したとき、一人先に寮にいて、いろいろ教えてもらいました。それからもう一人が入寮してきて、三人での生活になりました。ぼくのいる寮は三人が定員なので、すべて部屋がうまっています。ダルクには他にも寮があります。

――――絵を描くことが趣味なのですか。

もともと大学の建築学科でデザインの勉強をして、デザインの仕事をするようになりました。ぼくは手描きが好きだったのですが、パソコンが普及して手描きすることはなくなりました。昔は建物の絵ばかりを書いていましたが、今は、どくろの絵ばかりを描いています。一人のとき、布団の中で描きます。アメコミみたいな絵になってます。

趣味として、ギターかベースをしたいのですが、まだ許可をもらえていなくて。共同生活なので、楽器がまだ許されていないので、今は画材を買ってきて、時間があれば絵を描いています。

音楽が好きで、昔はバンド活動をしていたのですが、バンド活動も薬物のせいでできなくなって、また一からやりなおしたいと思っています。許可をもらえたら、楽器も生活の中に取り入れていきたいです。

――――最後に読者へメッセージをお願いします。

人それぞれ、色がありますが、ここに集まる理由は一つだけ。薬物依存からの回復なので、そういう仲間が集まる場所で、社会的には喋れないことを話す自由が与えられているので、薬物をやめたいと思う人は、ダルクやNAに通うべきだと思います。たくさんの人が助かっているのを見ています。依存症の人には必要な場所だと思います。ダルクやNAに顔を出すだけでも違うと思うので、そこで自分と向き合ってみるべきだと思います。

――――ありがとうございます。この記事もいろいろな人たちが読んでくださると思いますが、どのような読者にいちばんメッセージを伝えたいですか。

まわりの人ですね。家族とか。本人のまわりにいる人。
ぼくは前回の裁判のあとでダルクに通所したのですが、それ以前にも二回目の逮捕のときだったと思いますが、留置場にダルクの人が面会に来てもらっています。母親がダルクの家族相談につながっていて、そこからのつながりです。最初は、ぜんぜん受け入れてなかった。ダルクのようなところとははじめての出会いだったし、そういうところを頼らずに薬物をやめていけると思っていましたから、ダルクは自分には関係のないところだと思っていました。でも、それからまた逮捕があって、三回目の逮捕のときの裁判ではダルクのスタッフが情状証人に立ってくれました。

クスリをつかっているのを知りながら、まわりの人がとめれないということがあります。使っていたときはぜったいにわからなくて、否定しつづけていましたけど、まわりにいる人がとても傷ついています。そういう人たちへ伝えたいです。ぼくをふくめてなのですが、ダルクやNAは歓迎してくれる場所だということを知ってほしいと思います。あとは本人次第です。まずはまわりの人に、この存在を知ってほしいと思います。


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