出所後 ⑥

覚せい剤使用が原因で逮捕・精神病院を経験し、懲役の間に離婚もして孤独を抱えた仲間が再びダルクにつながった話です。
彼が大阪ダルクに電話をかけてきたのは、初めての相談から10年後のことでした。

やめる気がないままダルクに通所、そして2度目の逮捕

出所後 ⑥ | 仲間の話 - 大阪ダルク

レイと言います。ダルクに入寮して、四か月くらいになります。

――よろしくお願いします。ダルクにつながる前のことから、教えていただけますか。

薬物でいうと、中学二年生のときから、シンナーをやりはじめて、一八歳のときに覚醒剤をおぼえました。
ぼくは今、三八歳なのですが、十年くらい前、はじめて逮捕されたとき、両親にダルクにつれてきてもらったのが、ダルクにつながった最初です。父親が探して、ダルクを見つけてきてくれました。両親と一緒にダルクに来たんですが、ぼくは、そのときにはじめてダルクについて聞きました。

でも、通所をしていたんですけど、当時はやめる意思がまだないというか、底なんてついてなかったと思うんです。通所はしていたんですが、クスリをやめる気がないというか、通所しながらもクスリを使ったりしてました。結局、三か月くらいで通所しなくなったんですが、理由はクスリの使用が止まらない状態になったので、行くのが億劫になって、やめました。

そのあともクスリはとまらなくて、精神病院に三回か四回、入院しましたが、それでもとまらず、ある日、覚醒剤を買いに行ったときに二度目の逮捕になって、刑務所に行きました。刑務所に行く前に結婚してたんですけど、刑務所にいる間に離婚をして、出てきてから、仕事をしながら自力でやめようと思っていたんですけど、クスリを使っては仕事を辞めて、というのを繰り返していました。

おんなじような体験をしてきた仲間がダルクにいる

しばらくして、同じ相手と再婚をしたんです。相手もアディクトでした。仕事をしながらクスリも使って、家庭も持ってたというのが七~八年続きましたが、最終的には離婚をして、孤独になって、今年の二月ころ、ダルクに相談をしました。それで、またダルクにつながって、今で四か月くらいなんですが、今度は入寮ということになって、今に至っています。

孤独がやっぱりつらくて、ダルクに来る前は現実逃避とかすごくしていたんですが、ダルクにつながってからは、仲間がいて、だいぶん落ち着いてきています。


――もう一度、ダルクに相談しようと思ったときのことを教えていただけますか。

ぼくは、もう一回、人生を立て直したいと思ってダルクに来たんです。自分でやめようと思ったことが、何回もあったのですが、ぼくは一人ではやめられなかった。それで、ほんとうにお手上げになったんです。

離婚をしたあとは、一人で暮らしていたんですが、仕事もなくなって、お金もなくて、孤独でした。

実家は近くだったんですが、母親も限界やったと思います。仕事は、去年の一二月にクビということになったんですけど、それもクスリをやってしまってたんで、薬物の幻覚幻聴が原因で、会社に行かなくなって、会社から捜索願いが出されてて、それで母親のとこに連絡が行って、こういう状態ですと伝えて、それでクビということになりました。仕事をやめてから、ずっとクスリを使っていました。

クスリのことで、信頼をなくしてきたんです。ぼくには子どもが三人いるんですけど、子どもたちは、別れた妻のお母さんが面倒を見ている状態で、クスリがとまらなくて、どうしていいかわからん状態になっていて、それで、携帯のホームページでダルクのことをずっと見ていたんです。ホームページにはブログがあって、仲間の写真とかも載っていて、そこの写真は笑っていました。もう一回クスリを使わない生活をしてみようかなと思って、電話をしました。

電話したら、十年前に通所していたときのスタッフが電話に出てくれて、面談ということになったんですけど、全面的に協力してくれると言ってくれました。今は親も了承というか、依存症ということをわかってくれて、入寮についても、まあゆっくりしてき、というようなことを言ってくれています。


――ダルクに入寮しようと思って、相談したんですか。

相談に来たあと、入寮体験として、一週間くらい、入寮しました。それで、通所にするか、入寮するかを選ぶことになったのですが、自分で入寮を希望ました。入寮を決めたのは、生活もできなかったですし、たぶんこのままでは捕まるか、どないかなると思ったので、入寮することに決めました。迷いはありましたけど、自分の場合、入寮じゃないとクスリがとまらないと思ったんです。
入寮の良い点は、仲間が常にいてる状態で、安心感があります。しんどいときに、しんどいと言える環境がいいと思います。共同生活ですから、制限とかはあるんですけど。

もし、通所をするとなったら、親のもとで暮らすことになったと思うんですけど、もう迷惑かけられへんという思いも大きかったですね。入寮したことで、親が安心しているのを感じます。ダルクに来るまでは、母親が、ぼくの一人暮らしの家のスペアキーを持っていて、行ったり来たりしてくれていました。母親にそのころのことをきいたら、もうあかんのと違うかなと思ってたと言うてました。子どもたちもほったらかしで、見てられなかったのだと思います。

人によってそれぞれですけど、入寮の方がぼくは合っていたんですね。今は安心感があります。クスリをするようになってから、ツレとかがいっぱいいなくなったんで。こういう仲間と仲良くなるというのは、いいこと。仲間とクスリなしでやってけているのは、でかいと思います。


――ダルクに入寮して、変化を感じますか。

考え方が変わりましたね。話すことができるスポンサーもいてるし。一人で考えることがなくなったのが良いと思います。似たような体験をしている仲間がいるので、すごく共感できるというか。
入寮した最初のころは、早く回復をしようと思っていたのですが、今は、焦らずゆっくりという考え方に変わってきました。

ぼくの場合は、孤独というのが大きくて、ダルクに来る前は、喋る相手がいなかったんですよ。そのときの感情は、無でしたね。感情が無くなってたと思います。

正直なところ、仕事を見つけるか、ダルクに来るかで迷ったんです。仕事を見つけてやる自信はあったのですが、仕事をしても、またクスリになると思ったんです。クスリがとまらない状態やったんで。母親も最終的にダルクしかないんちゃうかと言っていました。

ぼくは、十年前にダルクに通所して、通うのをやめたんですけど、そのあとも、何回かはNAに行きました。NAに行こうと思ったのは、ストレスとか、当時は結婚していましたから、妻との喧嘩とか、そういうことがあった時にはNAに行きました。喋って、聞いてくれる人がいてると、楽になりましたね。

刑務所とか、保護観察所でも薬物のプログラムがありました。今はそういうプログラムにもダルクのスタッフが参加していますが、ぼくの時は刑務所でも保護観察所でもダルクの人に会うことはなかったように思います。
だから、ダルクに相談したのは、十年ぶりということになります。


――今の生活について、教えてください。

寮の生活は、今は二人での共同生活です。定員はもう少しありますが。寮はアパートの部屋です。
朝、寮を出てダルクに来て、一日三回のミーティング。ダルクでは、午前と午後の二回のミーティングで、夜はNAのミーティングに参加しています。

食事は、昼はダルクでみんなで作って食べます。夜は、NAのあとに、みんなでごはんを食べに行ったり、できあいのものを買ってきて寮で食べたりしています。一日二千円の生活費を、ダルクに来てもらっています。
日曜日はダルクのミーティングはありませんが、NAには通っていますので、毎日ミーティングに参加しています。

――ミーティングは、すぐに慣れましたか。

話すのは、最初は緊張しました。でも、だんだん慣れてきました。ミーティングでは、共感をすごく感じました。体験とかも、ぼくとおんなじような、似たような生き方をしてきた人の話をきいて、共感がすごく大きかったです。

――最後に、この記事を読んでいる人にメッセージをお願いします。

なんとかなると思うんです。ぼくの場合は、一人で抱えられなかったので、ダルクに来たことで、しらふで仲間もできて、笑えるようになりました。
薬物に苦しんでいる人は、一回来るだけでも、ぼくは意味があると思うです。今思うと、十年前に、ぼくがダルクにつながっていたことも意味があるのだろうと思います。前につながってなかったら今回、来てなかったと思うので。
ぼくは行動にうつすことができてよかったと思います。ひとりでいたとき、電話をかけられたことがよかったと思います。


――ありがうございました。この記事を読んだ人で、薬物依存に苦しんでいる人がいたら、ぜひダルクに相談してほしいですね。

そう思います。おんなじような体験をしてきた仲間がいるので。


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