女性の体験談 ①

覚せい剤の使用と売人を続けた結果、逮捕〜精神病院入退院を経験し横浜から大阪ダルクにつながった女性の仲間の体験談をインタヴュー形式で掲載します。

彼氏との死別をきっかけにクスリを使う

女性の体験談 ① | 仲間の話 - 大阪ダルク

――自己紹介をお願いします。

リョンと言います。今、二六歳です。三年前に地元の横浜を離れて、大阪のダルク女性ホームに入寮しました。
できれば、自分の同世代の人たちにこのインタビューの記事を読んでほしいと思います。よろしくお願いします。

――よろしくお願いします。同世代に伝えたいのはどのようなことですか。

はじめて覚醒剤を使ったのは、一五歳のときでしたが、一回だけというか、そのときはハマらなかった。そのころはクスリは使わないでクラブや夜の町にくりだして遊んでいました。彼氏ができて、つきあうようになって、薬物からは離れた生活をしていました。ちょっとお酒を飲むぐらいでした。

私がクスリを使うきっかけになったのは、彼氏と死別をしたことです。

三年半くらいつきあっていたんだけど、彼が亡くなって、もう一度覚醒剤と出会いました。彼氏と一緒に過ごしていた時間を埋めることができて、覚醒剤を使うようになっていった。私にはクスリをくれる人がいたので買うことはなく、その人は私に最初に覚醒剤を教えた人なのだけど、バイトがてらにその人の手伝いをして、薬物の売人をやりはじめました。そういう生活が二年ぐらい続きました。

私に薬物を教えた人が逮捕されて刑務所に入り、自分ひとりがぽつんと残された形になった。そこから、私自身が本格的な犯罪に関わっていくようになりました。薬物をあつかってる事務所に一人で顔を出すようになって、地元で有名な人にくっついたりして、結構な量の薬物の運び屋をするようになりました。そのかたわら、ばれないように昼間の仕事をし、クラブにも出入りして遊んでいました。そういう生活が二二歳まで、二年間くらい続きました。

逮捕・入院から大阪ダルクへ

二二歳のとき、私は覚せい剤の譲渡の容疑で逮捕されました。譲渡はなかったので、起訴されなかったのですが、尿検査の反応が出たため、覚醒剤の使用で起訴されました。

留置場にいても、一回目の逮捕だったから、すぐに出ることができると思ってたし、次は捕まらないように使おうということばっかり考えていたのですが、留置場に面会に来る家族には泣いて謝っていました。面会の時に出す自分の顔と、留置場の中の自分はまったく違う感情でした。三か月後に執行猶予で出ることができて、その日に家に帰って残ってる眠剤とお酒を使って、覚醒剤を持ってきてくれる知り合いに電話をしました。家族は留置場の垢を流しなさいって言って、優しくお金を渡してくれて、私をサウナに行かせてくれました。そのとき、ごみぶくろを渡されて、いらないものを捨てなさいと言われたりしました。私には何も捨てるものはありませんでした。サウナに行って、知り合いに持ってきてもらった覚醒剤をその場で使いました。捕まる前の生活に戻っていくための下準備でした。

そうやって一か月くらい薬を使いながらの生活をしていました。私にクスリを教えた人は刑務所から出てきていて、つきあいが戻っていたのですが、その人が家族に電話をかけてきて、私がお金を借りているから返せと言いました。それで、家族に薬物のことがばれました。家族が心配して、私を精神病院に連れていって、覚せい剤依存症と診断され、入院することになりました。

入院しても一か月で退院できるものだと思っていて、一か月を乗り越えたら、今度はもっとうまくつかってやろうと思っていたから、家にクスリを残してありました。ただ、家族のために入院するつもりだったので、地元の薬物の関係の人たちの連絡先を捨てて入院したのですが、それがよかったと思っています。

一か月で退院できるものだと思っていたのに、二か月、三か月と入院期間がのびていきました。入院して三か月目くらいのとき、ダルクでは霊的という言葉が使われるのだけど、たまたま他の患者に面会に来ていたダルク女性ホームの施設長の姿を見かけました。そのときはもちろん知らない人なのだけれど、あとで入寮したとき、「どこの病院からきたの」ときかれて答えたら、「その病院に行ったんだよ」と施設長が言っていて、あのときに姿がみえたのが施設長だったんだとちょっとたってから知りました。

家族は私を地元から離したいと考えて、病院のケースワーカーと話しあいがあったようで、退院したあとは体験入寮することが決められていて、行かざるをえない状況になっていました。病院から家には帰らず、直接入寮する形で大阪に来ました。

自分の意思でダルクに来たわけじゃなかったから、大阪に来てもクスリがとまることもなく、なんでやめなければいけないのかと思っていて、家族のためとは思っていたんだけど、クスリはとまりませんでした。ダルクの施設の中でお酒も飲んでいたし、覚せい剤も一、二回くらい使ったし、ガスの吸引とか、ブロンとか。それまで使ってなかった種類のクスリまで。仲間をまきこで使いました。

万引きもしました。その前日に覚醒剤を使っていて、コンビニで万引きしたんだけど、土下座して謝っても店員さんが許してくれなくて、その時点で私はまだ執行猶予が残ってたから、スタッフに連絡して迎えに来てもらって、それで許してもらいました。スタッフが迎えにきてくれなかったら、今私は刑務所にいると思います。でも、次の日もクスリを使いながら万引きをしていました。

そんななか、これを最後にしようと思って、夜の自助グループのミーティングに行く前に薬局でブロンで買ったのですが、薬局を出たあとの道でたまたまダルクのスタッフに出会いました。その場を立ち去ったのですけれど、ブロンを買ったのを見られたという妄想がわいてきて、公衆電話でダルクのスタッフに電話して、「ブロンを買ったけどまだ飲んでないからクリーンだよね」って言いました。そのあと、スタッフにたこ焼きを買ってもらって、夜のミーティングに参加しました。

夜のミーティングのあと、私は施設長の前ではじめて、薬物がやめられないんだって言いました。一八歳から二三歳まで使い続けていたけど、はじめて泣いて、助けてほしいって、クスリが本当にとまらないと言えた。施設長から長期の入院をしなさいって言われて、入院をしたんだけど、入院をしてはじめに施設長に言われたのが、「ぜんぶ正直に言いなさい」ってことでした。今まで何のクスリを使ったとか、どう使ってたとか、手紙や電話でのやりとりで、少しずつ正直になっていきました。

入院して、三つの病院をうつったんだけど、病院をうつるときはダルクのスタッフに迎えに来てもらって次の病院へうつりました。三つめの病院は今も通院している病院です。その病院に三か月入院して、病院の中だけれど、クリーンの期間が少しずつ増えていって、それが大切なものになっていきました。留置場にいた三か月間をこえたくらいの時期から、私もクスリがとまるんだなあって思うようになりました。

入院している最中に、施設長が、高校にもう一回行ってみたらと言ってくれて、退院したあとのことも何も心配しなくていいから、こっちで入学手続きをしておくからって言ってくれました。委ねてみてもいいかなって思いはじめて、私自身がクスリをやめていきたいって思うようになっていました。病院の中だけど、のびていくクリーンの期間を大切にしたいし、自分を思ってくれる人がいるんだって思えました。学校の入学願書が病院に送られてきて、書き方を教えてもらって、病院で書いて、フリーダムに届けるってことをして、学校に入学することが決まりました。入学式の前日まで私は入院していました。退院したら、それからは外。閉鎖されていない生活で、学校に通って、クリーンを続けていくっていうことが私のプログラムでした。

高校には一年間通って、卒業できました。高校に通っているあいだにクリーンが一年続いたバースデーを迎えることができて、涙が出ました。自分のためのケーキがあって、自分のために集まってくれた仲間がいて、奇蹟だなと思いました。今もクリーンが続いています。
高校を卒業して、ボランティア活動を8か月くらいやりました。でも、それからどうしようと思いました。クスリはとまっているんだけど、次は新しい生き方をしていく能力が自分にないことがわかってきました。クスリをやっていたうちに、何も残っていない。何かを続けることとか、スタートする決断ができなくて、クスリへの無力は認めたけれど、生きることがどうにもならないことを認めなくてはならなくなって。

自分では決められないから、施設長に言われたことだけをしていて。一時期は殻にこもってしまっていました。施設長から「ただ生きてるだけだね」って言われても、そのときは意味がわからなかったけど、何をしていいのかもわからないし、先が見えない、何もしたくないってなったときに、「フリーダムの手伝いしてみないか」ということを言われて、「します」って答えてから、少しずつだけど、殻から抜け出せて、今年の年明けくらいから、霧が晴れるようになってきて、調子が戻って、また楽しく、施設で過ごすことができているかなって思います


――この記事を読んでいる読者のうちにも、ダルクに行ってみるかどうか迷っている人もいるかと思いますが、リョンさんはダルクにつながったときの印象はどうでしたか?

私はダルクっていう場所を知らなくて、自分の意思ではなくて家族の思いで地元を離れて来たから、最初は二年クスリを使わない期間がたったら帰ろうと思ってました。今はもう三年たって、クリーンが二年過ぎたんだけど、自分が依存症であることも認めだして、依存症の自分が地元の帰ろうと思ったときのおそれや不安が見えるようになってきました。地元に戻ったらクスリを使うだろうと思っていて、家族との距離感も今くらいがいいし、ここで新しい出会いがあって、仲間がすごく好きだし、ここにいたいと思っています。この人たちとともに生きていたいという気持ちがクスリをつかわない前提になっているのかなと思うようになりました。
ダルクにきたから、執行猶予がおわることもできたかなと思っています。


――病院で診察を受けるときには抵抗感とかはありませんでしたか。

地元の精神病院に入院したときは、行かざるをえない状態で行ったものだし。大阪ダルクに来て最初に通った病院ではお酒をつかうための処方とかを選んでいました。

今通っている病院は大阪ダルクからは遠いんだけど、主治医の先生とはいい出会いだと思います。私がクリーンでがんばっていることもほめてくれるし、二週間に一回、遠いんだけど、先生に会いに行こうと思える。「入院中とは変わりましたね」って言ってくれる先生なので。ダルクで行事があった時の話とかもできるし、診察という目的で行くのだけど、先生に会うためにいくというのもあります。

私はお酒にも問題があるので、抗酒剤を飲んでいるのだけど、先生から「どうしますか」ってきかれると、私自身のお守りで抗酒剤を飲んでることが自分のためだと思うから抗酒剤を継続しようと思いますし、処方された薬をちゃんと飲む。それが自分のためだと思えてきています。

――最後に読者へのメッセージをお願いします。

いま、私は、ダルクにつながって、よかったって素直に思えます。
ありがとうございました。


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