裁判~保釈 ①

違法薬物の使用による3度目の逮捕で、弁護士から紹介された大阪ダルクにすがる思いでつながった仲間の話です。
この話は、彼が服役中に刑務所の中から大阪ダルクに宛てて書いた手紙をそのまま掲載しています。

「ダルクにつながって」  アキラ

裁判~保釈 ① | 仲間の話 - 大阪ダルク

私は今、刑務所にいます。一昨年の10月に逮捕され、その時の罪で服役しています。
過去に2度の逮捕歴があり、今回が3度目です。初めての時も、2回目も心の底から反省し、2度と薬には手を出さないと強く思っていたにもかかわらず、結局、留置場にいました。その前に離婚し家族を失い、今回の件で仕事も失うだろう。両親や兄弟にも見放され、私は何もかも失い、一人で生きていくんだと思っていました。

その後、両親が面会に来てくれました。弱りきった私には、アクリル板越しではありましたが、顔を見れたことで少し安心出来たのですが、4度、5度と繰り返してしまうかも知れないという不安は、大きな物でした。
あれ程止めたくて、何度となく痛い目にあってきたにもかかわらずまた。このままだと、一生、薬物で苦しみ、刑務所を出たり入ったりの人生になってしまう。そう思っていました。

そんなある日、弁護士さんからの紹介で、薬物のリハビリ施設が有ると聞き、不安もありましたが、すがる思いで訪ねました。
今まで人に話せず、一人で抱えていた薬物に関する事、今までの人生の事など洗いざらい、思い付くままに話したというよりは、吐き出したといった感じでした。

その時、面接して下さったスタッフの方が、「わかるわぁ。」と云って下さった一言は、抱えていた不安や苦しみを確信に変えるのに充分なものでした。こんな自分の、こんな話や過去を理解してくれ、受け入れて貰えるんだと。

いま思えば最善の選択

その日からミーティングに参加させて頂きました。私はとても単純で、それに自尊心が持てず、自信の無い、周りの目を気にしながら生きてきた人間でしたので、受け入れ理解して貰えたと感じた時、「これしか無い。」と真っ直ぐに思っていました。本当に単純なんですよ。

その日から半年間、自分にはこのプログラムしか無いという気持ちと、判決に有利に働くんじゃないのかとの気持ちからプログラム漬けの日々を過ごしました。その丁度半分の3ヶ月で一審判決が出た時点で、上告せず刑務所に行くという選択もありましたが、結局もう3ヶ月プログラムを継続出来たことが、今思えば最善の選択だったと思っています。

その間、経済的に支えてくれた両親や、アドバイスを頂いた方々に感謝しています。刑務所に行かなくてはいけないかも知れないという不安の中、使わずに過ごせた事。たくさんの仲間に知り合え、励まされた事。岩に水が染み込んで行く様に、少しずつ私の中でスピリチュアルな目覚めを感じられた事。今では、逮捕からダルク、NA(自助グループ)に繋がり、今こうして時間を与えられている事まで、全てが、計画され、与えられた事のようにも感じています。

今も不自由な生活を強いられ、決して良い状態とは云えない場所ではあるんですが、私は私でしかなく、焦らず目の前の出来ることをやっていこうと思っています。そして、ダルクに繋がったことが、当時、留置場で感じていた孤独や不安を、今では帰る場所があるという安心感と、再会を心待ちにしてくれている仲間と、もう一度やっていけるという希望に変えてくれました。
I can’t ,We can.


【手紙を受けたスタッフより】
弁護士さんの紹介で、保釈の人、執行猶予の人がダルクに繋がることがあります。
昨年からも自分が情状証人に立った利用者、嘆願書を書いた利用者が今も刑務所で過ごし、手紙のやり取りをしています。既に出所し、社会復帰したなかま、ダルクに戻って来てプログラムを一緒にするなかま、もうすぐ戻って来るなかま。やり取りをする中で、勇気と力を貰っているのは、自分の方です。元気に過ごしている姿を見ることが出来るのは、素晴らしい希望です。
フリーダムで行っているファイザープロジェクトを利用して、出所後すぐにダルクに相談に来た利用者が少しずつ社会に慣れ、ダルクに通い続けながら、止め続けている姿はこのプロジェクトの意義を改めて感じています。

アキラの手紙を読み、パソコンに打ちながら、心で繋がっていることに感謝します。
ありがとう。

大阪ダルクスタッフ


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