合法薬物 ④

慢性のアレルギー鼻炎持ちから市販薬に強く依存した仲間の話です。
濫用を続けた結果、妄想・幻覚・幻聴に支配されて大阪ダルクにつながることになった彼の体験談です。

一気に疲れを吹っ飛ばす市販薬

合法薬物 ④ | 仲間の話 - 大阪ダルク

私は犬プーと言います。

柴犬が好きで好きでたまらないのがこの名の由来のひとつです。好きでたまらないのがこうじて柴犬をむちゃくちゃにしてしまいたい衝動にかられてしまいますが、それもアディクトなのかもしれませんね。この名の由来他にもあるのですが、後に述べさせていただきます。

さてさて私の問題の薬物ですが、私の薬物は市販薬の風邪薬鼻炎薬です。「ブロンか?」と言われそうですが、ブロンではなく「銀のベンザブロック」というTVのCMでもおなじみの薬です。

もともと私は元気になれるものを探して健康食品オタクみたいなことをやってたのですが、仕事中のある日たまたま鼻炎薬のコルゲンコーワを水がないのでポカリスエットで飲んだのですがこれが私の疲れを劇的に作用して、一気に疲れが吹っ飛んでしまいました。

正直私もこれには驚きましたが、怖かったのでこれ以上の使用はしませんでした。

それから時も経ち職場も変わったのですがそこは紙粉の舞い上がる印刷工場でした。私は慢性のアレルギー鼻炎持ちでもあったので常にマスクをして防御してしまいました。ある時、「薬は値段の高いやつのほうが良く効くよ」とすすめられ、上記のコルゲンよりも高いベンザブロックを飲んだのです。しかも前回同様にポカリスエットで飲んでしまったのです。そうすればなんと不思議なことでしょう、鼻炎がたちまち治ったのはいいとしても急に体中に元気がみなぎり鼻炎薬なのにどういうわけだか眠気も完全にぶっとんでいきました。なんだか漫画のヒーローのような気分になり体が覚醒していきました。眠気と疲れうつ気味な私には、これ以上にない薬でした。前回のコルゲンの時は恐れをなして薬から逃げ出したのですが、今回は完全にはまってしまいました。くすりの魔界に入ってしまったのです。薬の量は朝起きる時に3錠をポカリで飲んで一度からだを横になって安静していると気がからだを貫通したような感じになって即効で眠気もなくなりハイパー元気になれるのです。そして朝めしもろくに食わずにハイパーな状態のまま紙粉舞う工場へと通勤していきまいた。

もはや薬なしでは生活する事はできない依存症に

しかしこういう薬類は中毒性があったようでそのうちくすりの量も1錠2錠と増えていき、そのうちいわゆるところの「きれめ」が発症しだしてそのたびにおいうちで飲んできました。また、他人に見られるのを嫌った、私はいつも隠れるように更衣室のすみでわからないようにして飲んでいました。

そしてその内みだりだらしなくなり髪の毛もファッションでもないのに腰のあたりまで延びていて悪臭も漂い最悪でした。ただ自分の趣味にだけに没頭して何も他のことを考えず過ごしていました。薬さえあれば無敵だ!そんな感じの毎日でした。くそ汚いかっこをしながら梅田茶屋町の道の真ん中を肩を切って歩いていても平気でした。

この印刷工場の仕事もパートの人と喧嘩をして辞めてしまいました。ちょうど仕事への気力が減退していたときだったので簡単に辞めてしまいました。仕事やめたあとも薬への依存はつづきました。もはやこの時、薬なしでは生活する事はできない依存症のからだになってしまっていたのです。印刷屋を辞めてしばらくしたら地域のコミュニティーカフェに行きました。しかしここからが依存症の第二ラウンドの悪夢の開始だったのです。家の外を通る人間に次々バカタレー」とののしりと罵声をあびせられました。またある時は隣の大阪町家を改装したカフェに大量の客が殺到して私の悪口を言いまくりました。そしてとどめは向かいの家のおっさんと前に働いていた印刷工場の社員が私の悪口をいいながら酒をのんで騒いでいるのです。正直ほんとに気味が悪かったです。

この頃からです、えたいのしれない集団にストーカーされていると思い込みだしたのは。
もともとお祭りの写真を撮るのが好きでまた撮りに行こうとしたのですが、それを集団で追いかけてきたのです。

でも今考えたらそんなことあるわけがないのです。すべて私の妄想でした。くすりの幻覚作用がもたらしたものであったようです。このころから心療内科に通いだしたのですが「ベンザ」をやめないので意味があまり無かったようです。幻聴が顕著になるのもこの頃です。結局私はこの幻聴がもとでくずれ崩壊していきました。ここで犬プーの名前が関係してきます。幻聴の声たちは私のことを「プー」と呼びました。そこで私も対抗策を考えました。それが「犬プー」だったのです。私は幻聴と妄想の中で「犬の人」というわけのわからないものに成り下がっていきまいた。また、幻聴の声の主たちの親玉の向の家のおっさんのブラザースを全裸にして子どものうちのひとりを犬の首のついた5歳ぐらいの犬人にして子供用のゴーカートのバギー車に、父であるおっさんブラザーズをひきつぶすという不良の犬人間にしてやりました。

その後は幻聴にやられつつ遊びつつという生活が続きましたがついに肉体的にピンチな状況へと追い込まれてきます。幻聴のせいで夜寝れなくなりアルコール度数の強いウォッカを寝酒として飲むようになり最終的には物も全く食べられなくなり急性アル中になり病院送りとなりました。その後アパートでボヤ騒ぎを起こしてしまいアパートにもいれられなくなり紆余曲折をへてダルクへとたどり着きました

私は、飛田本通(釜が崎)にあるコミュニティーカフェフェに行きそこでダルクを紹介され、ダルクへと行くことになりました。本当は薬物でガタガタな体のはずなのに、そこで住み込みで雇ってもらおうと思って相談に行ったのです。薬物で体がやられている事を話すと、ダルクに行くことを勧められ住所を教えられ連絡をして頂いてダルクに行きました。最初はなにがなんだかわからなかったのですが、生活がどんずまりの状況なので、ダルクに行けばなんとかなると思い勧められるままに行ったのです。私は薬物依存症ですが、当時はそんな依存症という病気などは知らなかったし、覚醒剤などの薬物と同列のものとも思っていなかったのでびっくりしました。まず薬物ミーティングというものにも驚きました。こんな世界もあるのだなあと驚愕しました。さらに自分自身と同じ様な人がいるのにも驚きましたが、同時に共感をおぼえたりもしました。

さて、ダルクへ来て生活することになったのですが、まず解毒入院してもらうということになりました。精神科に入院することになったのですが、精神科にはすでに通院していたこともあったので拒絶感はなかったですし、よかったのはあの薬切れの離脱症状に襲われることがなかったのは幸いしました。ちょうどダルクに来たときに離脱症状がではじめていたので、離脱症状が本格化したときには入院していたので処方で抑えられたので助かりました。

精神科には初めての入院でしたが、アルコール依存の方が大半だったのでそれほど院内の環境も悪く無く人生の休息にはちょうどよいところでした。しかし、いろんなこともあるもので、わたしは今までこのかたタバコというものを吸った事が無かったのですが、病院の仲間にタバコを覚えさせられてしまい、いまではヘビースモーカーの仲間入りです。病院ではタバコがコミュにケーションツールになっていたり、お金の代わりになっていたりしていたのでやむなく吸ってしまったのですが、その味を覚えてしまい今に至るわけです。

3ヶ月に及ぶ解毒入院も無事終わりいよいよダルクでの入寮生活が始まりました。いままで寮のような所では生活していたこともあったので、すんなり行くだろうと思っていました。しかし、今まで住んでたところは、個人個人分かれて住んでいて、寮の人間で溜まるようなことがない、あまりコミュ二ケーションとかをとる必要がありませんでした。このダルクの寮はリビングがあって、そこに寮の仲間が溜まるシステムになっていたのでコミュニケーションを取るのに、最初は価値観の違い等で結構苦労しました。また、家の構造が、私が住んで来たところは古い旧式民家ばかりで、中には築70年の大阪町家なんかにすんでたこともあり、新式のマンションであるダルク寮にはかなり違和感がありした。さらにこの環境になれないこともあり、寮の先輩との関係にかなり困惑したこともありました。入寮の初期はひたすら先輩に隷属してましたねえ。また、先輩の仲間に共依存の傾向が強い仲間がいてかなり共依存されて精神的にもへろへろにされたこともありましたねえ。

さて、そんな感じで寮生活もなんとか進んでいき、月日もたち京都でコンベンションが開かれることになったのですが、それに私も寮の仲間も行くことになり、いったのですが、それはそれですごかったのですが。途中ひまな時間もありひとりで京都観光にでかけました。京都市の南部の竹田という京セラの本部ビルもあるところなのですが、一見近代的なだけのところなのですが、あのへんは京都市南部の史跡の集積地であり、なかでも城南宮の神社が方除けで有名で庭も綺麗なのですが、ひとりで散歩にでかけました。私は部類の神社通なので神社や旧所名跡の情報には詳しいのですが、行ったのはコンベンション中で私ぐらいのものでしょう。まあ、物好きなので。。。

さてこの後ぐらいから風邪気味になって本格的に風邪になってしまったのですが、この風邪が私にはスリップの大敵で、医者の薬でもなかなか治らずあまりのしんどさからか市販薬に手を出してしまいました。クリーン半年あまりだったのですが、たかが風邪ごときのためにスリップしてしまいました。市販薬はパブロンの風邪薬で、なぜ本命のベンザブロックに手をださなかったかといえば、さすがに本命の薬に手を出すのは怖かったのです。風邪が治ればすぐやめようと思っていたのですが、ベンザブロックに似た感覚がパブロンにはあり半月あまり断続的に使い続けてダルクスタッフに見つかりスリップとなり、半年あまりのクリーンもぶっ飛んでしまいました。

それで解毒入院をして一からやり直すか、やめるか決断を迫られた時、私ははじめダルクをやめることを選択しましたが、あるスタッフが助け舟をだしてくれて無一文の風来坊になる所を救ってもらいました。あのときは本当にありがとうございます。

それで、再び解毒入院をして一からやり直す、クリーンな生活がはじまりました。それからというもの風邪には細心の注意をはらいました。風邪薬アディクトにとって風邪は大敵です。葛根湯もよく処方してもらいました。風邪の初期症状には良く効きます

2度目のクリーンになって人間関係もかわってきました。調子が悪くなりすべっていった仲間や、年月がたって一人立ちして寮を卒業して言った仲間やまた新たにやって来た仲間や、ドヤや飯場を渡り歩いてきた仲間の到来など、いろいろ変化もありました。私のほうは風邪の脅威以外ではゆるゆるとした風に流されるようにクリーンを続け、ようやくクリーンも1年と8ヶ月です。それでこのまま緩やかなクリーンがつづくであろうと思っていたら、思わぬ敵に遭遇してしまいました。処方違いです。あるくすりを処方してもらっていたのですが、眩暈などの副作用があるのでべつのものに代えてもらったのですがこれがあわなくて死にそうな感覚に襲われて、すぐにスタッフに相談して先生のとこに行ってこいと言われたので電車に飛び乗り神戸の果てまで飛んでいきました。それでくすりを変えて頂いたのですが、ダルクに帰って来て処方を飲んだのですがたちまち心のどす黒い雲が晴れ晴れとして背筋がシャキーンと通り、重い重い鬱の気がすっとんでいきました。またこれで薬というものは改めて怖いものだなあ、と痛感させられました。

まあ、こんな感じでクリーン1年と9カ月すごしています。すこしでもクリーンが伸びますようにとハイヤーパワーに祈らせて頂きながら終わりとさせていただきます。


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