女性の体験談 ②

10代で鑑別所から大阪ダルクにつながったもののすぐには受け入れられなかった薬物依存症の女性の体験談です。
摂食障害も持つ彼女が時間をかけてダルク、自助グループ(NA)のプログラムに自分を委ねられるようになっていく過程をインタヴュー形式で話してくれました。

鑑別所から出るために大阪ダルクへ

女性の体験談 ② | 仲間の話 - 大阪ダルク

――自己紹介をお願いします。

るいです。大阪出身です。両親と弟の四人家族です。今は二六歳です。

――ダルクにつながったきっかけを教えてください。

ダルクにつながったのは,九年前の一七歳のとき。
鑑別所にダルクのスタッフがメッセージを伝えに来てくれて、そのときはじめてダルクのことを知りました。

そのスタッフは、私の今のスポンサーなのですけれど、はじめて会ったときに、「あなたが出会ってきた大人と私は違うから」と言ってくれて、それまで私は嘘ばっかりをついていて、そんなことを言ってくれる人には出会ったことがなくて、ほんとかなって思って、半信半疑だったのですが、衝撃的だったのを覚えています。

私はそのときは鑑別所に入っていましたから、ダルクにつながれば試験観察になって鑑別所から出られるときいていたので、「ダルクに行きます」と言って、試験観察になってダルクに入寮しました。

――鑑別所にダルクのスタッフがメッセージに来てくれたのは、どうしてですか。

両親が私のクスリのことで、ダルクに相談に行って、そこからつながりました。
私がつながったころは、大阪ダルクでは未成年の相談はあまり受けてなかったらしいのだけど、鑑別所まで面接に来てくれました。それがきっかけです。ですから、はじめて会って、なんだこの人は、とか、こわそうだな、とか、ほんとにこの人を信じていいのかな、とか、また離れていったり裏切られるんじゃないのかな、とか、思いました。

それでも、「あなたが出会ってきた大人と私は違うから」と言われた言葉は印象的でした。「あなたは昔の私と同じ目をしている」と言われたことも覚えています。

ハイヤーパワーって何?

――ダルクにつながってみて、最初はどんな感想を持ちましたか。

ダルクにいる人たちより、私はひどくないと思いました。自分はクスリを使ってた期間が短くて、すぐに捕まったので、何年も使っている人とは違うので、ひどくはないと思っていました。自分がどんだけクスリを中心に生活しかかっていたかではなくて、違いばっかりが目についていました。でも、うらやましく思ったことも覚えています。
ほんとにこの人たちはクスリを使ってないのか。なんで、こんなに楽しくやってるんだろうと思っていました。

――違和感のようなものはありませんでしたか。

ハイヤーパワーって何? とかは思いました。
表面的にはあわせるのだけど、でも、心のどっかで、いつかクスリを使うんじゃないかと思っていて、その気持ちを話してなかった。本音を言うことに抵抗を覚えていました。言ったら受け入れてもらえないんじゃないか。自分の汚い部分を言ったら拒絶されるだろうと思っていました。

「ありのままでいいよ。正直でいいよ」と言われるたび、嘘をつきました。ありのままということ自体がわからなかった。

――ダルクに入寮してからのことを教えてください。

それで、ダルクでの入寮生活がはじまったのですが、一緒に住んでいる仲間とパワーゲームというか、その仲間が自分の目からみてほっとけなかったのですが、それを言葉で言えなくて、過食嘔吐をしました。

言葉にならなくて、かわりに食べ物を食べて吐く。
コンビニでパスタ大盛りを買ってきて食べて吐く。それで、一か月くらい入寮していたのですが、リストカットをして、家に戻り、通所することになりました。

一年ぐらい通所したあと、アルバイトをし、通信の高校に行き直して、専門学校に行って、卒業後はまた別の専門学校にも行きました。けれど、その二年生のときに、クスリの再発がありました。再発してから一年くらい、自分の貯金をつかいながら、クスリを使い続ける生活が続いていました。

ある日、NAに行ってステップを見たときに、自分の状況がどうしようもなくなっていることに気付いて、涙が出て、スポンサーに助けてくださいって言いました。
そのあと、大阪ダルクの寮に帰ってこれることになったのですが、それからもクスリはとまらず、仲間をまきこんでクスリをつかう生活が一年半くらいありました。病院に三回入院をして、退院してきてから、高知ダルクで一か月お世話になって、一旦は大阪に帰ってきたのですが、三か月ぐらいしてからまた高知で生活をするようになりました。高知ダルクでは、一年五か月くらい生活していました。

今年の五月、また、大阪でがんばるということで戻ってきて、大阪ダルクに入寮しています。学校に行くこととか、そういう生活がはじまろうとしています。

――どういうきっかけで変わったのでしょうか。

いろんなことをやらかしてきて、それでも、あきらめないでいてくれた、長く長くつきあってくれる仲間の存在があったからだと思います。仲間が変わっていく姿を見て、自分もそうなっていけるのかと思ったり。ちょっとずつちょっとずつ。いつから変わったとか、そういうのではなく。

たとえば、最初に大阪ダルクに入寮して、同じ部屋の仲間とパワーゲームをしていたときでも、同室の仲間がわーっとなっているときに、私のスポンサーはその人じゃなくてそばにいた私の方を抱きしめてくれて、「泣いてもいいんだよ」と言ってくれました。それはうれしかった。「あなたは嘘をつくけど、わたしは嘘をつかない」とよく言ってもらったけど、嘘をつかない人だと信じることができるまでに時間がかかりました。
私はとても幸運だったと思う。

――ダルクをやめようと思ったことはなかったのですか。

最初にダルクに来て、一年くらい通所して、それから通っていない期間がありました。四年くらい。やめようと思ったというよりも、ダルクに通所していたときに、バイトをするようになって。やめるというよりは、バイトがあるし、とか。そういう感じでどんどん離れていって、ダルクに行かないことが普通になっていった時期がありました。それで再発しました。すべり続けていたときも、ダルクやNAや仲間の存在が必要だとは自分でもわかっていました。でも口だけ。実際に足を運ぶことや、電話をかけることひとつもしませんでした。
ステップをやったら、クスリをやめなければいけないじゃないですか。だから、プログラムをやれなくて。
なかなか自分の病気は深いです。

――でも、また、ダルクにつながったのですね。

NAには、ときどきは行くことがありました。まったく行かなかった時期もありましたけど。NAでスポンサーに会って、助けてくださいと言ったあとは、ダルクの寮に帰ってきましたが、二週間くらいでクスリを使いました。それで精神病院に三回入院しました。
クスリを使ってたのが、ばれて、隠そうとしたのだけれど、つじつまがあわなくなって。嘘ばっかり重ねていました。

精神病院に入院することになっても、入院前にクスリを残しておく。退院したらそれを使う。これじゃダメだと思って、次はクスリを残さないで入院したのですが、退院前にクスリのルートを確保してから退院しました。

三回目の入院のときは、一回目と二回目のときに入院した病院から断られました。私が主治医のお医者さんが嫌と言ったからでした。そのとき、私のスポンサーが「あなたの今の状態をNA用語で何て言うの。どん底って言うのよ」と言われました。「あんたは底なのに、まだ底を掘ってるんだよ」と。そう言ってもらって、三回目は別の病院に入院しました。三回目の入院は長期になりました。

――その退院後は高知ダルクでの生活がはじまりましたが、それぞれのダルクでの生活には違いがあるものですか。

私は、高知に行かなかったら、今のクリーンはないと思います。規則正しい生活とか、ミーティングで話をきくこと。それと、高知では時間がすごくゆっくり流れているように感じました。自然が多いし。
大阪では、経験のある仲間から、いろんな角度から、ものごとを教わるような印象かな。
でも、どっちがいいとかいうことではなくて。
違いというのは難しいですね。

――それぞれのダルクで特徴があると思いますが、その人やその人の時期にあったダルクにめぐりあうことが大切なのでしょうか。

そう思います。あと、ダルクでは人それぞれのプログラムが用意されていますから。
私は今、大阪ダルクの寮で生活していますが、生活の流れとしては、朝起きて、午前九時四十分くらいに寮を出て、午前十時くらいからダルクに来てみんなの食事を作ったり、クッキーとかケーキをつくったり。それからミーティング。仲間と話をして、午後からまたミーティングがあって、料理のお手伝いを、ボランティアスタッフとしてしています。夜は、ごはんをたべて、NAに出かけて、帰りに喫茶店に寄ることもあるし、それから寮に帰って、お風呂入って、日記を書いて。その日、思ったことを寮のスタッフとやりとりする感じで日記を書いています。

高知ダルクでの生活は、午前九時ころから掃除をして、散歩をして、ミーティングをして、自由時間があって、またミーティングをして。お風呂に入ってから、NAに行って、帰って寝る。そういう感じ。それから、夜、お菓子をみんなで食べあったりとかしました。

――最後に、このインタビューを読んでいる読者にメッセージをお願いします。

この病気は進行性で、死ぬ病気。亡くなった仲間もいます。
気軽な気持ちでもいいし、ひやかしでもいいから、ダルクのようなこういう場所があるということを知ってほしいし、来てほしい。自分が思ってる以上に、自分の力になってくれる人がすごくいると思います。教えてもらったり、フォローしてもらったり。そこから、立ち直る力。そういうためになることを教えてもらっています。

薬物の問題で苦しんでいるなら、死ぬ前に一回、こういうところがあるということだけでも知ってほしい。
休んだりとか、立ち止まることは、実はそんなに悪くないことだと思います。私はクスリを使いつづけていたときは、とにかく忙しくて、人間関係とか、働くこととか、気持ちばっかりが焦る。自分が一人でしなければいけないと思っていた。昔の自分にメッセージを伝えることができるなら、「立ち止まることが悪いイメージだと思ってるけど、そんなことはないよ」と言ってあげたい。
クスリをやめたくてもやめられなかった人にとって、すごくシンプルな方法と、そこに向かう仲間という存在があるかなと思います。

――シンプルな方法というと?

薬物に対して無力であること。それから、今日一日、ということ。そういうことはすごくシンプルでいい方法だと思います。

昔は、今日だけクスリを使う。明日からやめる、と思っていた。今日一日だけの使い方が間違っていたと思います。今日一日だけクスリを使わない。

一人で悩まないでほしいと思います。


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