出所後 ③

覚せい剤が止められず自首することで自ら服役した仲間の話です。
薬物使用と家族・友人・交際相手との関係に苦しみ孤立・孤独感を抱えていた過去を話してくれました。

止めれない苦しさから警察へ自首しました

出所後 ③ | 仲間の話 - 大阪ダルク

私は、ダルクに通所、入室して七ヵ月になります。

薬物の使用は、15歳の時アルコールから始まりシンナー、20歳で覚醒剤を覚え、特にやめられなかった薬物は覚醒剤で現在33歳ですが31歳の時、矯正施設に入るまで使い続けました。覚醒剤を使い始めたきっかけは、地方の友人でした。覚醒剤を使う時も、お酒、シンナー共に仲間はずれにされたくない気持ち、よりよい状態を求める為に何も抵抗なく使いました。初めて使った時は、すごく体が軽くなり、最初の2、3回は量も少なくて「すごく髪の毛の立つような」とよく言いますが、そこまでの快感はありませんでした。

次第にもっと快感がほしいと量も回数も増え、すぐとりこになりました。使い始めの頃は何もかもが自分中心に世界が廻っている様に思え、仕事や彼女も好きに手に入る様な、どこか根拠のない錯覚を覚え、どこか根拠のない自身がありました。当時は、いつでも止められると思っていたし、遊びの延長としか考えていませんでした。それから、たまに使用していた覚醒剤が、うまくコントロール出来ず、最初に影響が出たのは彼女との付き合い方だったと思います、今考えれば僕の病気である、「依存症」と言う病気が薬ではなく、彼女に向きはじめ、散々傷つけ、傷つけた事にまた自分までもが傷つき・・・仕事の方や周りとの協調性が欠けだし、自分の仕事が認めてもらえないと、勝手に嫌気がさし、休みがちになり、心配してくれる友人に「薬をやめないとダメだ!」と言われる度に傷つき、恐れ、離れて行き、両親にも妹にも薬を止められない事が言えなく、ひどく孤立・孤独感を覚えました。

最後は、止めれない苦しさから、警察へ自首しました。21歳の頃でした。

繰り返す再使用から2度目の自首で刑務所へ

三ヶ月間、留置所・拘置所を経て、もう薬物を止めれると、根拠のない自信を持ち、執行猶予で社会に出てきました。覚醒剤中毒の僕を以前勤めていた会社が心よく引き受けてくれ、これから頑張ろうと言う気持ちはありましたが、その気持ちとは別に薬の欲求は近づいており、拘置所から出て1ヶ月も経たないうちに、再使用が始まりました。

当然の事、薬がうまく使える事もなく、僕を支えてくれる人への嫌悪感や、やめれると言う自信もなくなり、また捕まるのではと妄想が入り、快感を味わえるのは、薬物を使った一瞬で後は以前にもまして苦しみだけでした。
それでも、社会の問題に取り組むことが苦手で、自立をいつの日からか忘れてしまった僕には薬物という逃げ道が必要でした。

その状態でもなんとか、会社の人のおかげで仕事を続け、結婚まで考えた彼女も出来て、なんとか薬物をつかわずに生きれるのではないかと、かすかな希望をもち、生きていました。
ですが、両親・彼女・友達・職場の人の気持ちだけでは、やはり僕の薬物の病気を止める事が出来ず、大切な彼女、職場との別れを選び、その当時、僕の弟が調べてくれたダルクへ電話をし、夜のNA「自助グループ」へつながりました。23の頃でした。

僕自身、彼女・仕事・持ち家を失い、両親・妹・友人にも見放された気がしていて、ただ生きているだけで、薬のやめれない自分はどうしたらと迷っていました。
初めて行ったNAは神戸で、メンバーも1人だったけど「大丈夫、止めれるから・・・」仲間からのその一言で、すくわれた気がしました。今でもその時の事を覚えています。その後も職を転々し、たまに薬物を使用し、その度NAへ行き1、2ヶ月は続くのですが、もう治ったと勘違いし、同じ様に苦しんでいる人がいる事が分かれば、またいつものような生活に戻る事が続きました。

その後、父親と同じ仕事に就こうと、バスの運転手をしました。さすがに命を預かる仕事で六ヶ月間薬は止まったのですが、休みの日に使う様になり、自分の生き方に違和感を覚えて薬を止める事から始めなくてはと、やっと気付き始めました。

その後27歳の頃に大阪ダルクへ繋がったのですが、通所、3、4ヶ月にして薬物が再発しました。今までは、短くても、何週間も再使用でやってきた覚醒剤が大阪で連続使用が始まりました。
ここから2年が本当の苦しみでした。なんとか、彼女の命を守りたくて地元の神戸へ戻りましたが、結局薬がらみでの彼女からなかなか離れる事ができず、自分から2度目の出頭となり、1年6ヶ月の実刑を受け、刑を務めることになりました。

そこで初めてダルクへ手紙で「助けて下さい」と書き始めて薬物に対し、本当の意味で無力だと認める事ができたのではと、今になって感じています。
矯正施設では、毎日、朝・夜と、お祈りをし、NAの文献を読み、以前はどこか悪かったのかと、考えたりしていました。その答えは周りの人の為に止めたいと考えていたので、きっと自助グループでもダルクでも薬を止められなかったのだと今となっては思います。
矯正施設を出所して2度目のダルクで、いま薬をつかわず、7ヶ月過ごせています。自分の為に薬をやめたいと、薬物のない生活を送りたい気持ちでダルクへ来たのです。

今では、まだ生きている実感がしていません。正直な所、苦くて、本当に嫌気が差しています。逃げ出しそうになる時、必ずそばに一緒に回復をしている仲間がいて、助けてくれて、それだけで実感できるようになりました。
ダルクのプログラム等、自助グループのミーティングの日々、自分の感情に目を向けること、過去を認めること、行動を変えること、今日だけ薬を止めている事を忘れない為に、大変ですがそれ以上仲間の存在は自分にとって大きいです。
これを読んで、もし、同じ様に苦しんでいる人がいれば、是非勇気を出して一緒に踏み出し、ダルクやNA「自助グループ」に繋がって欲しい。早く病気を認め回復すればきっと諦めかけていた夢や希望につながるのではないかと信じています。

「僕たちを助けて下さい・・・」
そして、僕たちも、あなたの力になりたい、そしてこれ以上苦しんでいる人が増えない様、回復していくよう祈っています。

ありがとうございました。


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