出所後 ①

少年院も含めると人生のうち13年くらいは刑務所で過ごした仲間の話です。
反社会的組織に深く関わり、逮捕・服役を繰り返した果てに大阪ダルクにつながり薬物を手放して生きることを選べたとインタヴューで話してくれました。

5回目の刑務所を出て3日で逮捕

出所後 ① | 仲間の話 - 大阪ダルク

――よろしくお願いします。
裕(ゆたか)です。大阪ダルクには、平成22年1月末に来ました。
私は四国の高知県の出身で、ここに来るまでに自分には薬物関係があって,組関係もあって、それを断ちたくてダルクに来ました。

――ダルクはどのように知ったのですか。
5回目の刑務所を出た後,覚せい剤を使ってしまって,3日で逮捕されました。猜疑心や妄想が出て,自分で交番に行って,自首しました。6回目の刑務所は北海道でしたが,刑務所に入ることになった時,弁護士さんから薬物依存からの回復プログラムをやっているところがあると勧められて,北海道ダルクに手紙を書きました。そしたら,「いつでも来てください。いつでも迎え入れる。出てきたとき北海道ダルクの寮が一杯なら他のダルクに行くかもしれないけど、心配はいらないよ」と返事をもらいました。刑務所にいるとき,北海道ダルクのスタッフが3回くらい面接にも来てくれました。

刑務所を出所して、3日目くらい。いったん高知の実家に帰り、大阪のホテルに宿泊している時に、北海道ダルクのスタッフに電話をしました。私が大阪にいたので,北海道ダルクのスタッフから,大阪ダルクに相談に行くようにアドバイスされ,電話番号を教えてもらいました。すぐに大阪ダルクに電話をしました。大阪ダルクのスタッフに面接してもらって,入寮が決まりました。それが平成22年1月末です。


――大阪ダルクでの生活はどうですか。

最初,大阪ダルクの寮に入ったのですが,寮に入っていたのは1ヶ月もないくらい。私は刑務所でも昼夜独居でずっと一人だったので,集団生活になじめず,寮を出たいと相談して,一人暮らしを始めました。一人暮らしをしながら,ダルクに通っています。

クスリはもうやりたくない。反面,体はクスリを求めています。だけど、やったら自分はどうなるかを体でわかっている。だから怖いと思う。正直なところ,両方の気持ちがあります。

ここは温かい家族みたいなところ

ダルクは自分にとって居心地がいい。ミーティングで話をして発散できるし,仲間がいる。相談もできる。欲求がわくことはあるけれど、相談できるスタッフがいて,仲間たちがいるということはとても大きいと思います。

自分は薬物依存症者で,欲求がわきます。感覚が体に残っている。依存として心に残っている。ダルクではみんな薬物をやった人間ばかりですから,薬物のことを話します。そのことは,発散できる反面、正直言って欲求がたまることもあります。他にも自分は眠れなくて,眠剤も飲んでいるので,完全に治るのかどうか,不安はあります。体や自分の考え方を治したい。自分の気持ちの持ち方で変わってくると思っています。
覚せい剤を覚えたのは,19歳の時。世の中にこんないいものがあったのかと思いました。クスリには楽しさもあります。やった人間にしかわからない楽しさがあるのだけれど、私はそんな楽しさを忘れてしまいたいと思います。私は薬物の楽しさを求めるのではなく、回復をもとめています。そうしないと,また刑務所に行くんじゃないか、とか病院に入院することになるんじゃないかとか思います。私は今,43歳です。悪いクスリを覚えて,この年になって,とても長い道のりだったと思います。私は刑務所に行ったのが6回。少年院に入っていた期間もあわせると,13年間ぐらいは施設の中にいたことになります。

薬物を断ち切るためには,薬物をやっているような人間とはつきあいをしないこと,触っている人間とはつきあいをしないこと。それが改善の道だと思っています。

私は,四国の高知県の出身ですが,もう帰らない方がいいと思っています。地元に兄さんがいますけれど,私は今,体を治しているとだけ伝えています。それ以上は伝えていません。伝えたら,どこかから地元の組関係や,薬物関係に伝わるんじゃないかと思ってしまいます。クスリをやめようと思ったら、今までの友達と切るしかない。組関係とか、薬物の売人とか、自分の周りにはそういう人しかいなかったから。
覚せい剤がどんなものなのか,私は痛いほど分かっています。分かっていますが,使っている自分がいる。回復したい。でも考えると欲求がわく。とてもしんどいことです。

大阪ダルクに来てからも,1回,覚せい剤を使ってしまいました。同じことをしないように心がけています。

クスリの味を知ってしまったら,欲求がわいて当然なのだと思います。スタッフからも欲求はしかたないとよく言われます。今日一日をクリーンでいることが必要なんだ,と。でも,やりたいという思いも,やりたくないという思いも,地獄の苦しみ。クスリを忘れるためには,ミーティングの場で発散するしかない。仲間と一緒に,今日一日を使わないようにするしかありません。

クリーンでいるのは難しいと思います。回復には時間がかかることだと思います。自分の場合,今はとまっているだけ。やりたいと思わなくなるまでには計り知れない時間がかかると思います。クスリをやってるときは人間じゃなくて、やってないときが本当の自分。けれども,欲求は消えません。
ミーティングでも自分の気持ちは伝えているけれども、ずっと欲求はわいています。たった0.0…グラムのシャブに何万円もかけて、ばかばかしいと思う。でも,そんなものに欲求がわく自分がいます。
欲求をとめるのに自分は必死です。正直言ってやりたいという気持ちは消えません。つきまとっている。ミーティングで発散したり,ぜんぜん違うことを考えようと努めています。それだけ恐ろしい魔法のクスリです。


――ダルクに来るまでは,ダルクのことをどのように思っていましたか。
私は,弁護士さんに勧められて北海道ダルクに手紙を書いたのですが,それ以前にも刑務所での教育でダルクのビデオを見たりして,存在は知っていました。ビデオで見る限りでは,シャブ中ばかりが集まっていて回復できるのだろうかとか,覚せい剤だけでなくいろんな薬物をやった人間がいるわけだし,そんな人たちが集まったら,クスリを使う話になるんじゃないのかと思っていました。だから,回復できるとは思っていませんでした。
北海道ダルクのスタッフが面会に来てくれた時,「ダルクは,クリーンでいられるところだけれど、強引に薬物をやめさすところでもない。かといって使っていい場所でない。ミーティングの場です」と教えてもらいました。スタッフの人は自分も薬物依存症だと言いましたが,この人は本当にやめてるのかなとか,ダルクに行ったら缶詰状態にされたり隔離されたりして出られなくなるんじゃないかと疑ったりしました。

はじめて相談する人は不安が大きいだろうけど、興味があるなら自分で足をむけて自分で見て考えてみればいい。人によって合う合わないはあるだろうけど、本当にやめたいのならば、来てみることだと思う。
正直,自分も不安でいっぱいでした。入所できるのだろうか。入所して覚せい剤やめられるのだろうか。どんな人がいるのだろうか,など。不安だったけれど,ダルクに来て不安は消えました。


――回復のプログラム(12ステップ)について感じたことを教えてください。
こんなの守れるのかな、実践できるのかな、と思っていました。やりたい放題やって生きてきた自分ですし,ダルクに来てからも薬物をしてしまった自分ですので。
でも,不思議なもので,仲間とつながって、話をしているうちに守れるのです。きっと薬物をやめようとしたとき,ずっと続けようと思うから守れないのであって、今日一日、今日一日と思っているからできるのだと思います。ずっとと思うなら、自分はおかしくなりそうです。私はすべてできてるわけではなくて,まだ途中ですけれど,昔の自分とは違うと実感して思います。昔の自分ならやりたいことをやっていた。好きなことをしていたと思います。
ダルクを教えてくれた弁護士さん,北海道ダルクのスタッフ,大阪ダルクのスタッフ。そういう出会いがなければ、今の自分はなかったと思います。

ダルクには自分と同じような体験をしている人がいます。その人たちの中で話をしていくうちに,みんな同じような傷があるので,傷を舐めあうというと何ですが,みんな仲間だと思うし,自分は一人じゃないと思うと,強い気持ちが芽生えてきます。みんな同じような道をたどって回復を求めているんだなと実感します。
ダルクに来るまでは不安ばかりでしたが,ここは温かい家族みたいなところで,一緒にご飯を食べて,分かちあって,気持ちが和らいでいきます。


――このインタビューを読んでいる読者にメッセージがあれば。
もし,このインタビューを刑務所の中にいる人たちに読んでもらえるなら,一番伝えたいことは、本当に覚せい剤をやめたいと思ったら、薬物関係の人間と手をきることだと思います。もし,そういう人たちが地元にいるなら、地元を離れること。売人や組関係などと手を切ることが第一歩で、そうしなければ本当にやめることができたとは言えないと私は思います。自分を変えることが大切だと思います。

単に刑務所から出所して、終わりました。またクスリを楽しんでいますというだけでは、同じことの繰り返し。覚せい剤をやり続けることは,死を待つだけになってしまいます。ただの廃人でしかない。絶対に得られるものはありません。その時だけの快楽をもとめるのではなく、長い人生を薬物を使わず面白おかしく生きた方がいい。きっとその方が楽しいと思います。

自分のまわりで覚せい剤を使用していた人たちは,多くがまた刑務所に戻ってしまっています。薬物をやっていて行き着く先は,刑務所か精神病院か、死しかない。自分のまわりにも刑務所から出てきて自殺した人間もいます。

自分の意思でやめようと思っても、まわりが一緒にしようと誘ってきたり、それに自分が負けてしまったりしてしまう。本当にやめようと思ったら、身の回りを整理して,薬物に関係する人がいるなら,たとえ親しい友達や家族であっても、クリーンになるまで連絡をとらず,自分の回復を待つことが大切だと思います。そうでなければやめれないと私は思っています。

覚せい剤というものが日本の社会からなくなってほしいと私は思います。もうききたくない。見たくない。触りたくない。

でも、それは無理なことで,刑務所を出所してきたら,どこにいても薬物関係の人間はいるのです。
断ち切る勇気,会わないようにする勇気が必要だと思います。


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