出所後 ⑤

人並みに結婚もして、三人の子供を授かりながらも裏では薬物使用が止まらず何度も逮捕・服役を繰り返した仲間の話です。
反社会的組織とも関係を持ち薬物の密売もしていた彼が、満身創痍のからだでたどり着いたのは過剰摂取による昏倒とアディクションの終焉でした。

クスリを手に入れる為ならばなんでもした

出所後 ⑤ | 仲間の話 - 大阪ダルク

天国と地獄そして、今…

まさに地獄の苦しみだったのでしょうか。あの時は心臓が破裂したかと思うと、まるで胸と背中が逆転したかのような、痛みと云うよりは、悍ましい、悪い汗たらたらの感覚に襲われて、卒倒したのだと思います。記憶は曖昧です。なぜならば、目が醒めるとすでに十日ほどが経過しており、病院のベッドに横たわっていたのですから。記憶が翳んでいることを諒承してもらわなければなりません。昏睡していたのでしょうか、後で看護士さんに聞かされました。本当に患いましたよと。「苦しい、苦しい、胸が苦しいんや!!助けんかい!注射打たんかい!」と喚き散らしていたらしく、少しだけ正気に戻った頭で面映ゆく思いました。ともあれ、地獄の苦しみを受けることにより、二十数年にも及んだ、私のアディクションは終焉しました。その後、約八か月に及ぶ入院生活を強いられ二回の手術を体験し、それは肛門の静脈瘤を切除するという、医学的にも厄介で、非常に痛い、後が大変な手術でした。更には、HCV、胃潰瘍、肝機能障害なども併発しており、アディクションと引き換えにしたものの、大きさを省みずにはおれませんでした。それだけではありません。とうの昔に家庭を破綻させ、肉親からも絶縁されて、天涯の身であることは論ずるまでもなし。こうして地獄の苦しみのあと、ダルクとNAに繋がり、クリーンが与えられて、今の私が在ります。

ほんとうに、悔しい生き様やったなあと、心からそう思います。しかし、アディクション甚だしきシーズンは、そんなことすら、気付くことなく、少しでも都合よくクスリを手に入れる為ならば、なんでもしましたし、持っているものも次々に差し出しました。

最後に残ったのは、この身体だけでした。

家族を持ちながらも止まらない薬物使用、そして逮捕・服役を繰り返す

しかし、体があるからこそ今があるのだと思うし、どうして絶命しなかったのか、しばしば思考するのですが、それは12ステップで教儀されるハイヤーパワー故なのかとしか思えないのです。

現在すでに五十のオッサンですから、私が初めてクスリを体験したのは、すでに遥か昔、二十歳を少し前の頃かと記憶します。まさしく、劇にして絶、凄まじい快感が突きぬけ、あれが天国だったのだろうかとしか云いようがありません。あの凄まじい快感に近づくことすら恐ろしく過ごしていたのですが、ある日連るんでいた友人が持参してきたのです。悪の権化を…。瞬く間に虜に成り果て、最初の逮捕までそんなに時間はかかりませんでした。22歳の春にお縄を戴き、刑の執行は猶予されましたが、時折、大麻を吸ったり、時折、シャブの虜に成ったりと、都合宜しく善良な市民を装い乍も二重の仮面を被り、人並みに結婚もして、三人もの子供まで授かり乍も、この悪い癖が鎮静することはなく、三人目の娘が授かって暫くしてからのこと確か、年齢は三十五に達していたかと思います。

これも春、二度目の逮捕。仮面を被るのに狡猾な私は、この頃すでに少しでも沢山のクスリを手にする為ならば、大概のことに手を染め、かなりの深みまで暴力団とも関わっていました。この頃の私には、ある部分では裏社会の方が都合よくて、楽だったのでしょうか。逮捕される前にすでに私の暮らしぶりは荒み、妻ともすでに別居しており、その後獄中で離婚しました。この頃の私の記憶は曖昧で朧げです。クスリ塗れの私の脳髄はすでに膿んでいて、病んでおり、あの頃の記憶は翳りの中です。多分に、その方が楽なのでしょうか。現実ではなかったのかとも思うほどなのです。

初犯は実に苦しい務めでしたが、何とか刑期を終えて社会に戻りはしましたが、私のアディクションの火はごうごうと燃え盛り、再び都合よく、居心地のよい裏社会へと更に深く繋がり、業は転じて裏社会人と成り果てたのです。もはや真っ当な社会では使いモノにならなくなっていました。二回、三回と逮捕されるのに、時間は要りませんでした。その度ごとに裏との繋がりは太くなってゆき、獄中は十年ほどの歳月を重ね、今年は五十に成りました。すでに肉親とも絶縁されたのは、当然の帰結であり、裏稼業を業とした息子に父親の引導を渡した志には今も畏怖の念がありますし、父からの最後の手紙の文面が妙に敬語体だったことに、その意思の強さを感じ、さらに畏怖するのでした。今でも市井の善良な人達である肉親の思いは氷解などしていません。先の手術の際の医療の義務である肉親への告知に、一切の伝言も勿論、見舞いなどあるはずはなく、実に情けなく、淋しい入院生活を過ごしました。

最後にODで倒れる前は、すでにアディクションも末期に達しており、暮らしぶりはもはや底を突きぬけ、大阪のとある巷で、密売にまで手を染めていました。同棲していたヤク中の女性もおりましたが、彼女は逮捕され、今頃どこかの刑務所で服役しているはずです。そして私はODによる心疾患、つまり心臓マヒで倒れ今に至ります。自分が傷つき痛み、苦しむのはいいのです。報いですから。しかし、余りにも多くの人々を傷つけてしまった。今の私にできる事には限りがあります。私が存在しているだけで傷つく人達も居ます。今日一日、そして明日も、クリーンを続けることしかないのです。もし、万に一も再発が起こるとすれば、それはスリップなどでは済みません。それほど私のアディクションは根が深いのです。今はクスリはもとより、持病への配慮から、酒もタバコも止みました。酒やタバコの再発だけでも持病に対する責任はもてぬと医者には念押しされています。

しかし、「Just for today」この思想ほど、今の私にとって心強いのもはありません。今日の平安が在れば必ず朝は来る。
そして、明日もあさっても、延々と続くのです。まるで寄せては返す、波のように…。
まるで、夜が来て、朝が来るように…。
延々と、いつまでも…。


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