出所後 ④

2度目の逮捕をきっかけに弁護士の方勧めで保釈中にダルクに繋がった仲間の話です。
薬物使用を維持するために家族を傷つけ「刑務所に行くか、死んだ方が良いのでは」と思いつめていた矢先につながった大阪ダルクに、彼は出所後自分から戻って来てくれました。

やっと手に入った覚せい剤に飛びついた

出所後 ④ | 仲間の話 - 大阪ダルク

たけしです

僕が初めて覚醒剤を使用したのは22歳の時でした。
20歳で大学を中退していた当時僕はバンドにハマっていて、その資金を稼ぐ為にバイト漬けの日々を送っていました。そんな時、ある深夜の水商売で知り合った知人に覚醒剤を入手出来るという話を聞き、飛びつきました。

十代ではシンナーを少しやった事がある程度の薬歴でしたが、当時から色々なドラッグに興味があり薬物関係の本なんかを読みあさったりはしていました。それでもなかなか手に入れるチャンスがなく、最初に手に入れたときはやっと手に入ったという感じでした。それが違法な事や、使い続ければ依存症になる事など、知識として多少ありましたがそれでも使いたい気持ちの方が強く、また当時はあまり深く考える事なく使用する方を選択してしまいました。覚醒剤を体に入れた瞬間ですが想像していた程の強烈な効果はなく、少しガッカリした事を今でも憶えています。こんな薬が人生と引き換えにしてまで手に入れたくなるクスリだとはとても思えませんでした。

ですが何度か使用を続けていくうちに覚醒剤の体に入れた瞬間に味わえる “頭を突き抜けるような快感” を実感できるようなりました。そしてそうなるとクスリを追い求める生活になるまで時間はかかりませんでした。また多分、僕にとって普段の生活のなかで感じるストレスや不安を覚醒剤で現実逃避する事で見ないようにする日々はとても居心地の良いものでした。

ただそんな日々を維持するためにその後、多くの嘘をつき、人を騙し、また傷つけることになりました。
そんな中でも一番傷つけたのは両親だと思います。

2度の逮捕、出所後は再びダルクへ

バイトの給料だけではクスリ代が足りなくなると、何かと口実をつけて両親からクスリ代を調達するようになり、多い時で月に30万円無心したこともあります。それでもたりないときは実家の部屋の引き出しという引き出しを開け、現金を探すか金目のモノを探し質屋で薬代に換えたりもしました。近くに住む祖父の家に留守を狙って忍び込んでは同じ様なことを繰り返したりもしました。弟の預金通帳を現金化しようと持ち出したときに警察から電話があったのですが、弟本人が通報したと後になって聞きました。家が駄目になると日雇いで仕事をして、そのなけなしの日当でクスリを買っていました。

そんな生活が10年ほど続きました。

最初はクスリを止めるよう忠告してくれたバンド仲間や友人も気がつくと、誰も居なくなっていました。何人かの女性とも付き合いましたが、いつもクスリが原因で別れました。仕事も無い中両親と実家で険悪な関係のなか日々を過ごしていました。

その後一回目の逮捕があり、少しの間クスリは止まりましたが、暫くすると又再発しました。その頃になると、もう自分の力だけではどうにもならない事は薄々感じていましたが、どうすることも出来ずにいました。クスリが抜けて行く倦怠感のなか、もう自分は刑務所に行くか、死んだ方が良いのではと考えるようになっていました。その後二回目の逮捕がありその時の弁護士の方の勧めで保釈中にダルクに繋がりました。

正直、その頃の僕はいっぱいいっぱいでした。自分のやりっぱなしできたことへの贖罪の気持ちや、これから行かなくてはならない刑務所への不安、そしてまた出所後の事を考えると不安でたまりませんでした。そんなとき訪れたダルクでのミーティングで、感じていた不安や思いを吐きました。すると不思議と身体が楽になり、さっきまで感じていた不安が自然と緩んだのを今でも憶えています。長い間感じていた孤独感が、同じ薬物を止めたい思いの仲間同士の中で解けていく感じがしました。保釈中の1ヶ月と短い間でしたが、ダルクで毎日過ごす事で、先へのどうすることも出来ない不安な気持ちをどうにか保ち、出所後におぼろげにでもつなげるようにもなりました。

その後の刑務所での生活でも、ダルクで過ごした日々が少なからず支えとなり、また手紙でのサポートもありなんとか悪い方へ流される事なくのりきることが出来ました。

出所後の今は再びダルクへ通所する事が出来る日々を送っています。
まだまだ薬物依存症からの回復へのリハビリは始まったばかりですが、今は施設や両親など色んな人達に支えられながらゆっくりと回復して行きたいと思っています。生き急ぐ気持ちも消えはしませんが、今は自分にできる事をしながら、そしてまた今の与えられた時間やサポートしてくれている人たち感謝しながら、今日一日薬を使わないで過ごすことを自分のペースでやって行こうと思っています。

そして、このような僕の体験を通じ、感じた思いや感情を、まだ薬物で苦しんでいる誰かに伝えることで、その人達の何かに役立てるように、今は願っています。


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